2011年6月2日木曜日

喫茶去での投げ銭ライヴを終えて

久しぶりにこちらに投稿しました。最近のオイラです。
今回のSINGER SONG WRITER's Bar in 喫茶去」は、何度かアプローチをかけてきた40歳で唄をはじめたロンリー長野くんを間に挟んだもんだから、何か中途半端な感じありでしたが、久しぶりのマスター『内柴さん』と料理の助っ人『わらび茶屋のノブ子ママ』との3人のコラボで、買い物から仕込み、本番〜打ち上げを楽しみました。  この喫茶去」は客席25席くらいのアート喫茶なのですが、バンドで90名位押し込んだことがありますが、今回は懐かしい顔ぶれ、良く合ってたけど明石の唄が初めての人など、25名くらいのふんわりとしたいいライヴでした。投げ銭を16,270円いただき(今期最高)、一部を義援金に充てました。
日田でのWLM開催の折りはココでやりましょう!!
下記の文は、Facebookのノートに書き留めた独り言です。


確か最後に「喫茶去」でアコースティックでのソロライヴ(この時は首藤完治くんと一緒だった)を開催したのが、1989年12月2日(土)だった。この時のタイトルが『Song of Paddle』。その名の通り、カヌーやカヤックにはまっていた頃なのが、、。
その後、バンド願望の強さのあったがオイラが、例の一件から(当時「○○ー○」というバンドのゴタゴタの中で)、日田の長老バンドの後釜ボーカルとして所属 した『BOOZAP ATAPIN BANDブーザップアタピンバンド』では1996〜8年頃までは場所を提供して頂いた。 
投げ銭ライヴのその前日は、ネキストオフィストという中津にある 企画プロダクションの‘古田’への遅ればせながら!の還暦の小宴があった。‘古田’はオイラにこの世界を伝授してくれたお師匠的存在。この内柴さんと古田 さん二人が、この20年間オイラの精神を強力に支えてくれた人たちなのだ。カワッチャン・アンドウクンとも久しぶりに合えた。飲んだ呑んだ!いいお酒を飲 ませて頂いた。そして、次の土曜日が『Singer Song Writher's Bar in 喫茶去』。夢のような2日が終わった。
昨晩、旧知の友、新見おさむ からひさしぶりに電話が入った。共に高校時代(彼は築上郡に住んでいた)から唄の世界にどっぷり浸かり、その後日田で唄い中津 で唄い、彼のブッキングで佐賀にも行った。自主企画ライヴで福岡・諫早・中津・日田のライブハウスを廻って唄った。いつしか、暮らしも変わり、唄う環境も 変わり、共に語り合う時間もすくなくなり、ご無沙汰だ〜〜っ!でも何も話さなくてもいい!その内 俺たちにしかできない歌会がきっともてるはずだ、それが一番の楽しみよ〜〜〜!  
話を元に戻すと、このノートの第1ノートで書いた事。慈善で毎週土曜日 に唄を唄ってる訳ではない。オイラはオイラの唄が‘ちゃん’と唄いたいだけ。これも「今、して行かなくてはならない事。」のひとつ。それと、オイラを支え 続けてくれていた唄から頂いた魂や哲学を、自分の中でどれだけ誠実に昇華し、どこかへ向けて行けるのだろうか!と思う。オイラは生粋の酒飲み、堕落もの、 かっこいい事はかっこ悪いと言ってきた者、 さあ〜〜 どこまで悪態ついていけるのでしょう!この命つきるまで????! 
本日、1〜3月の「SINGER SONG WRITER's Bar in「わらび茶屋」と同じく、先日のSINGER SONG WRITER's Bar in「喫茶去での投げ銭の一部を「Kembow&喫茶去」の名義にて、西日本新聞社を通して、日本赤十字の東日本大震災救援金に寄せさせていただきました。今のオイラにできるちっぽけな事、「今、して行かなくてはならない事。」のひとつ。
改めて、SINGER SONG WRITER's Bar in「喫茶去」にご来場いただいた皆様、ありがとうございました。 喫茶去」の空気感が好きです。また、今週の土曜日からは、「わらび茶屋」に戻って唄います。ランブリング ライフ。ジャック エリオットの師匠、ウッディガスリーのように!

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